長男さんは小学校1年生から2年生の冬まで、不登校でした。
不登校といっても、学校に行かない訳ではなく、学校に向かうことが非常に辛い状態でした。
保育園までは、自閉やADHDが疑われるような事はなかったので、
その時は葛藤や、「なんで?」という気持ちが多かったのです。
長男さんに理由を聞いても「嫌」の一点張り、、、
「なんで?」に対する答えを模索するために色々試した事があるので、
何回かに分けてお話していこうと思います。
合言葉は「学校に行くために」
まず、学校いけなくても怒らないようにしました。
着替えを手伝ってと言われれば、手伝ってあげました。
赤ちゃんみたいに、ちょっとしたことを褒めました。
荷物が重いなら、ランドセルなど、荷物を全部持ってあげました。
ランドセルが重いというので、軽い手提げやリュックに変えました。
手段を問わず、歩くのが嫌なら自転車に乗せていきました。
時間に囚われず「今」行けないなら後でゆっくり行くことにしました。
登校の時間に行けなくても、学校が終わってしまっても、学校に一度は向かいました。
学校に行く前に公園に寄りたいと言われれば、公園に寄りました。
喉が渇いたら自動販売機でジュースを買って飲んでいきました。
家から出た後「お腹が減った」と言われれば、コンビニへ寄りました。
学校に行く途中でどこかに寄るなんて考えたこともなかったし、
私自身は幼い頃にダメと言われているからやってはいけないと思っていましたが、
長男さんの目的は学校に行く事だから、
何か要求を満たすことで少しでも学校に行ける可能性があるなら、と
「ダメ」と言わず、やってみよう!とどんどん許容していく事にしました。
キックボードに乗っていく、
自分の自転車でいく。
お菓子を食べながらいく。
裸足でいく。
ゲームの本を持っていく。
ランドセルごと何も持っていかない。
校則違反でも、母が謝ればよいと思ったし、
目的は長男さんが「学校に行く」ことだからそれ以外は何も考えないようにしました。
目的の達成の為に手段は選びません。
「学校に行く」皆が当たり前にやっていることが、出来るようになるまで
とてもとても長い道のりでした。
自分の子供だけ、皆と同じように出来ない。授業も行事も、それを毎日目の前に突き付けられて、
母は家に帰宅後毎日大泣きしていました。
でも学校の事で一番辛い思いをしてるのは、やっぱり長男さん本人だと思います。
だから、学校に行きたくない。学校というワードが出てくることさえ嫌悪感を示していました。
長男さんの不登校の対応は一人で考えたわけではなく、
スクールカウンセラーさんに相談して決めていました。
パパにもスクールカウンセラーと話したことを共有していました。
また、長男さんの同級生のママさんに自閉症が相談できる人がいたり、
私の父と母が発達支援の指導の免許を持っていたりしたので、相談できる環境があり、
誰かに吐き出すってとても大事だったと感じています。
学校の先生に親が考えていることを伝えたり、
担任の先生がこれはやらせたいと思っている事があれば、それは出来るように協力しました。
こちらの要望を伝えるばかりでなく、学校の中の事は、
学校に任せるしかないと思う事も重要だったな、と思います。
長男さんの居場所を作るのに、大人が喧嘩していたのでは良い環境は築けなかったと思います。
自分の当たり前(校則を破る)や、価値観を変えていくのは、
吹っ切れるまで本当にしんどい事でした。でも、「こうじゃないといけない!」
と考えていた常識とか、考え方を変えてみて楽になった自分がいます。
学校に行かせる為に、本人を変えるのではなく、母自身の考え方を変えて行く。
1歳半くらいの頃から子育てをし直している感覚がありました。(なんでもやってあげるので)
それが良かったのか分かりませんが、母が常に見方でいてあげる事で、学校で難しかったことや、
出来なかった事をぽつりぽつり話してくれるようになりました。
(不登校始めは何を聞いても、「嫌だ」「分からない」ばかりでした)
目的の為には手段を選ばない!これをやっていくと良いと思います。
学校にも行かなくてもよいか、となったことがあるのですが、
それはまた別の機会にしようと思います!
今日もお疲れ様です!
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